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第12作 私の寅さん 1973年(昭和48年)
その頃――――
未曾有の大飢饉に葛飾郡柴又村の民は
苦しんでいた――――
菜種油を悪徳商人に買占めされ、灯りを失った柴又村の民衆。国賊として追われる"車寅次郎"の妹・櫻に乱暴を働く買占め商人。そこへ現われた車寅次郎。「この面体、よもや見忘れではなかろうよ。よくも私達一家にむごい仕打ちをしてくれたな。餓えに苦しむ柴又の民衆に代って、天罰を与える!」。ピストルで悪人どもを撃つ車寅次郎。喜ぶ柴又の民衆。「柴又村の皆さん! もう大丈夫です。ここに我が同志は立ちあがった!」・・・・・フェリーの中で目を覚ます寅さん。
三越デパートの紙袋を抱えて「とらや」に帰ってきた櫻。明日から行く「とらや」一家の九州旅行の為の買物である。おいちゃんは寅さんの事を考えると気分がすぐれないらしい。万が一旅行中に寅さんが帰ってくると面倒な事になる。それを考えると憂鬱になるのであった。
案の定、その事をタコ社長に話していると寅さんが突然帰ってきた。
「とらや」の面々は夜になっても明日から旅行に行く事を寅さんに言えずにいた。そこへ御前様が餞別を持って「とらや」にやってきた。御前様が「寅が留守番をすればいい」と話したところで、みんなで旅行に行く事が寅さんにばれてしまった。これは寅さんに話が伝わるケースとしては最悪である。
どうして最初から言わなかったのかと怒り出す寅さん!おばちゃんが泣き出し、櫻と博が何とか寅さんをなだめて一件落着となった。そして寅さんが一人で留守番をし、「とらや」一家は翌日から九州旅行に出掛ける事になった。
出掛けた日の夜、旅行を楽しんだ一行は寅さんに電話する事をすっかり忘れていた。夜の8時を回ってから電話の事を思い出し、「とらや」に電話すると酔っ払いながら怒っている寅さんが電話に出た。家族のみんなを一人づつ電話に出させ、なかなか電話を切らない寅さん。小さな満男まで電話に出させる始末で、結局電話代を2,800円も使うハメになった。
2日目の夜、「とらや」に電話するとまた寅さんが突っかかってきた。電話口でおいちゃんと喧嘩になり、家を出ようとするが誰もいない事を思い出してか、寂しくて自分の部屋に篭ってしまった。みんなが帰ってくる日、寅さんは風呂を沸かしてシャケの切身とお新香を用意し、部屋の片付けまでしてみんなを優しく出迎えた。
江戸川土手の歩道を歩く櫻と満男。土手の斜面に寝そべっている男が一人、櫻をじっと見つめている。怪しい男だと思った櫻は満男の手を取り急いで「とやら」に帰った。男は櫻の後を追って「とらや」の近くまでやってきた。変な男が追いかけてくるとおばちゃんに言うとすぐに寅さんを呼び、「とらや」の店先まで来ていたその男を羽交い締めにした。しかしその男は痴漢などではなく、寅さんの小学校時代の同級生の柳文彦(前田武彦)だった。文彦は羽交い締めにされた時に思わず寅さんの名前を呼び、難を逃れた。
前田武彦さん扮する柳文彦は金持ちの坊ちゃん同級生というキャラクターがピッタリ!通称デベソの柳文彦は小さい頃は父が開業医をやっており、いつも石鹸の匂いをプンプンさせた裕福な子供だった。しかし今は医院もなくなり、放送作家をやりながら細々と暮らしている。再会した二人は意気投合し、文彦の家まで行って酒を酌み交わした。二人が酒を飲んでいる家には文彦の妹・りつ子(マドンナ・岸恵子)が住んでおり、絵を書いて生計を立てていた。
寅さんと文彦は酒を酌み交わしながら昔の事を思い出し、二人で「キリギリスの唄」を合唱するのである。
♪柱の傷はキリギ~リ~ス~、五月いつか~のキリギ~リ~ス~
これは「背くらべ」の替え唄で、キリギリスのような痩せた女先生に対して悪戯心で作った唄である。しかしその先生は寅さんを呼びつけ、ピアノを弾いて泣きながら自分でこの唄を唄ったらしい。それを見た寅さんはどうして良いかわからず、「へへ~」と笑うしかなかった。これは女先生と寅さんの感情の交差点である。寅さんの思い出話を聞くだけで情景が思い出され、やはり印象に焼きついてしまうシーンである。
りつ子の書きかけの絵を何気なく触った寅さんは、誤って絵に絵具を塗ってしまった。そこへちょうどりつ子が帰ってきた。絵具を塗られた自分の絵を見て怒りだすりつ子。謝っても許してくれないりつ子の態度に寅さんも怒りだし、寅さんはそのまま家に帰ってしまった。妹に対し、「あいつの事、許してやってくれよ」という辺りは前田武彦さんの優しい性格が滲み出ているような気がする。その事が第12作に対する印象を一層強くしているのであろう。
夜になっても昼間の事で気分が冴えない寅さんは、不機嫌なまま自分の部屋に篭ってしまった。
同級生の柳文彦は以後の第28作にも同窓会シーンで登場するが、しかしそこでは寅さんの事を毛嫌いしている。恐らくそれは第12作の終盤で元気を無くした寅さんを心配し、ワンカップを持って行ったにもかかわらずそれを放り投げられた事を根に持っていたからかもしれない。または第12作では仲の良い振りをしていて実は寅さんが大嫌いだったか、または第28作の同級生達に相づちを打つつもりで寅さんの悪口を言ったか、その辺りの真相はわからない。しかし私は酒を飲みながら昔話に酔いしれていた時の二人の気持ちを信じたい。
しばらくしてりつ子が一人で「とらや」にやって来た。追い返して塩をまくつもりでいた寅さんだったが、女らしい優しい態度のりつ子を見たとたん、そんな気持ちはいっぺんに引っくり返ってしまった。「とらや」で食事をしながらりつ子と話している内に、例によって寅さんはりつ子に惚れてしまったようである。
ある日りつ子は画商の一条(津川雅彦)と「とらや」で待ち合わせをした。何だかんだ言いながら二人の話に首を突っ込もうとする寅さんに、二人っきりで話をさせて欲しいと一条が言い放った。てっきり振られたと思った寅さんは旅支度をするが、りつ子が一条は大嫌いだと言った事により旅に出るのは直前でお預けとなった。
りつ子にはかねてから心に想う男がいたが、その男が金持ちの女性と結婚する事になった。りつ子は食事も喉を通らなくなり、失恋の痛手でついに寝込んでしまった。寅さんがりつ子を見舞って家を訪ねた時に、りつ子から失恋した事を知らされた。話を聞かされた寅さんはショックを受け、結局寅さんも失恋の症状が出てしまい、寝込む事となった。
今度はりつ子が寅さんを見舞って「とらや」までやってきたが、意識がもうろうとする寅さんはりつ子を櫻だと勘違いし、りつ子に惚れている意味の事を本人の目の前で言ってしまった。それを聞いたりつ子はその場に居られず、すぐに帰ってしまった。
その後寅さんはりつ子を訪ね、自分の失態を弁解するような話をした。しかしりつ子から「友達でいたい」などとあっさり言われてしまい、結局は振られる結末となった。「とらや」に帰った寅さんは旅支度をし、寒空の下また旅に出て行くのであった。
ところでこの作品には不思議な点がいくつかある。一つ目は主題歌が流れている時のテロップの中のおいちゃんの名前が"龍造"になっている事である。おいちゃんの名前は"竜造"のはずである。この点については単なる間違いか、それとも何か思惑があっての事なのか、以後の作品を見直す際に注目したいと思う。
二つ目はおばちゃんの「あたしゃ箱根より西へ行くのは初めてなんだからね」というセリフである。おばちゃんは第3作で三重県の湯の山温泉においちゃんと二人で旅行に出掛けている。これはどう考えれば良いのだろうか。第3作のおいちゃんは森川信さんであり、第12作のおいちゃんは松村達雄さんである。この違いが何か関係あるのだろうか。
三つ目は旅のシーンの寅さんと「とらや」一家が逆になっている点である。多くの作品は序盤で寅さんが「とらや」に帰ってきた後に喧嘩となり、寅さんが土産を櫻に放り投げるなどして再び旅に出ていくのが定番である。第12作も喧嘩するところまでは例に同じだが、その後寅さんが留守番をして家族が旅に出る。家族が旅先にいると思うと寅さんは心配になり、電話が待ち遠しくなる。これは普段から家族に心配ばかりかけている寅さんにとっては骨身に凍みる体験だったに違いない。その結果風呂を沸かすなどして家族を立派に出迎えているのである。もちろん一時的なものではあるが。
前作ではリリーという強烈な個性を持ったマドンナが登場したが、第12作にはそのような激しい部分はない。むしろ柔らかい感じの作品に仕上がっていると感じる。しかしながらマドンナの気質はただの優しい女性ではなく、自立した、男負けしない強い女性像を意識している。この点は前作のマドンナ・リリーの流れが残っているのだろうか。
第11作「男はつらいよ」寅次郎忘れな草
1973年(昭和48年)
冒頭の夢
借金の肩に娘を連れて行かれる貧しい農村一家。娘が連れて行かれるその直前、家に小判が放り込まれた。見ると御政道に逆らってお尋ね者となった我が長男、寅次郎である。妹・櫻の問いかけに対し、「何かのお間違いじゃあございませんでしょうか。あっしはこの柴又村には、何の関わりも持たねぇ、旅がらすでございますよ」と言いきる寅次郎。背を向ける寅次郎に娘を連れに来た御政道の使い手が襲いかかる。二人をたたっ切る寅次郎。「お天とう様は見ているぜい!」・・・・・雨降りの中、空き家の軒下で目を覚ます寅さん。
父親の27回忌の日に寅さんが帰ってきた。お経を上げる御前様の声が玄関先まで聞こえ、てっきりおいちゃんが死んだと思った寅さんは慌てて中に入る。みんなといっしょに手を合わせ、何気なく横を見るとおいちゃんが座っている。話しを聞いてみると父親の27回忌の法事だと言う。それを聞いてほっとした寅さんは、御前様が真面目にお経を上げている最中に悪ふざけをし、御前様をカンカンに怒らせて法事をメチャクチャにしてしまった。
満男も幼稚園に行く歳になり、櫻は満男にピアノを買ってやりたくて仕方がなかった。しかし金銭的な事情から買えない。その事を博と話していると、寅さんがやってきてピアノぐらい買ってやれという。ぐずぐずしている博と櫻の態度を見兼ねた寅さんは、すぐにおもちゃのピアノを買ってきた。櫻が欲しいのは本物のピアノである。しかし、勘違いとは言え寅さんの行為を無にはできず、ありがたく受け取る事にした。ところが夜になってタコ社長が余計な一言を言った為に、欲しかったのは本物のピアノだという事が寅さんにばれてしまった。寅さんは不愉快になり、結局その事が切っ掛けでおいちゃんと喧嘩してしまい、例によって「とらや」を出る事になった。
北海道の大自然の中を歩く寅さん。夜汽車で網走まで移動し、レコードの売をするがさっぱり売れない。橋の欄干にもたれてぼんやりしていると、一人の女が声を掛けてきた。レコード歌手のリリー(浅丘ルリ子)である。聞けばリリーも寅さん同様フーテン暮らしのようである。港でリリーと話しをしている内に、寅さんにはリリーが自分と同じ種類の人間に思えてきた。寅さんはリリーに生まれと名前だけ伝え、その場で別れた。
雨の柴又。おいちゃんはパチンコ屋に行ったっきり帰って来ない。そこへ北海道から速達が届いた。手紙の内容によれば、寅さんは北海道のとある開拓部落で酪農の手伝いをしているらしい。しかし三日目に熱を出して倒れてしまい、寝込んでいるとの事である。博と相談した結果、櫻は寅さんを見舞って北海道まで行く事にした。櫻に連れられて「とらや」に帰ってきた寅さんであるが、まだ体調は良くないらしい。ちょっとした事で家族と喧嘩し、弾みでまた家を出ようとしたところへ網走で知り合ったリリーが訪ねてきた。リリーと再会して気分が良くなった寅さんは、そのまま「とらや」に留まる事になった。
しばらくして、別な日にまたリリーが訪ねてきた。その夜リリーは「とらや」のみんなと楽しく食事をし、「とらや」に一晩泊まる事になった。さらに別な日の夜中、リリーは酔っ払って「とらや」にやってきた。仕事で嫌な事があったらしく、かなりの荒れ模様である。リリーをなだめる寅さんだが、リリーは昂ぶるばかりで大声を出して泣きながら帰ってしまった。その後寅さんはリリーのアパートを訪ねたが、すでにリリーはアパートを引き払ってどこかに行ってしまった後だった。その夜寅さんは旅に出る決心をし、上野駅構内の大衆食堂まで櫻にカバンを持ってきてもらった。
ある日とらやにリリーから寅さん宛ての手紙が届いた。手紙にはリリーは結婚してお店の女将になったと書かれていた。櫻はリリーの嫁いだ千葉の寿司屋を訪ね、元気そうなリリーの姿を見てほっとしたのであった。一方寅さんの方は再び北海道の開拓部落に顔を出し、大きな麦藁帽子をかぶり気まぐれな労働に精を出すのであった。
第11作のマドンナの性質はシリーズ始まって以来の重大な方向転換であると言える。マドンナが清純な女性ではなく、寅さん公認のフーテン女であるという事。本来ならば寅さんはこの手の女性には興味はないはずである。しかしフーテン同志であればこそ、お互いの気持ちが通じ合うという部分もある。この点がこの作品の最大の特徴ではないだろうか。
この作品のロケ地は北海道網走である。第5作でも北海道がロケ地として使われているが、11作のように北海道の大自然は表現されていない。11作では大自然の中を壮大なBGMに載せて寅さんが歩くシーンがあり、このシーンは寂しげな旅情を堪能できるシーンである。野原に寝っ転がる寅さん、牧場、夕日、夜汽車・・・。これらのカットを見るたびに思うのは「男はつらいよ」の奥の深さである。この奥深さは何度見てもうまく表現できない。
面白い事に気がついた。リリーと寅さんが初めて会うのは網走のどこかの橋の上である。二人は近くの港まで歩き、漁に出る漁船を眺めながら座って話をする。すぐにリリーが仕事の時間となり、二人はそこで別れるが、地面に座って話をしていた為にリリーの白いズボンの尻が少し汚れる。その後リリーが「とらや」を訪ねて来た時も同じ汚れがズボンに残っているのである。これは、リリーがフーテン女なのでズボンの洗濯などマメにできないという事として解釈すれば良いのだろうか?たとえこれが演出ではなく偶然だったとしても、そこまで考えるとさらにこの映画が楽しめる。
興味深いシーンがある。それはタコ社長の工場で働く水原君と恋人めぐみちゃんとの絡みである。同郷を理由に、近所で働くめぐみちゃんが工場で働く水原君を度々訪ねてくる。お互いに好き合っている事は一目瞭然である。しかしお互いに言い出せない。結局は水原君が江戸川土手で告白する事になるが、この告白のシチュエーションは第39作「知床慕情」を連想させる。周りに座り込んでいる仲間に対して一旦背を向け、その後振り返って告白する。第39作の告白シーンは11作の江戸川土手のシーンをモチーフにしているのだろう。
前作までのマドンナを全て回想するシーンがある。このシーンは「とらや」の団欒シーンの中に出てくるが、やはり過去の作品を思い出させてくれるシーンはファンとしては嬉しい事である。
この作品の見所はやはり、リリーの生き方であろう。同じフーテンでも寅さんとの境遇の違いも見所かもしれない。リリーが酔っぱらって「とらや」を訪ねた時に寅さんに向かって吐いた言葉にもあるように、寅さんには「とらや」という帰るべき家があり、またそこで待っている人達もいる。しかしリリーの帰る先は安アパートで、待っている人などいない。寅さんがリリーのアパートを訪ねてみたが、リリーは既にアパートを引き払っており、リリーが昨日まで使っていた小物が部屋中に散らかっている。これを見た寅さんは一人暮しの寂しさをひしひしと感じ、そこで初めてリリーの気持ちがわかったに違いない。しかしラス
トでリリーは結婚し、千葉の寿司屋の女将となる。この点は寅さんが考えている以上にリリーは強かでしっかりした女である事を表現している。これらを考え合わせると、この作品はリリーを通し、女性の強かさ、弱さ、そして自立心を表現しているのではないかと感じる。リリーの出演はさらに第15作へと続く。
第10作「男はつらいよ」寅次郎夢枕
公開日 1972年(昭和47年)
古き良き時代のとあるバー。
長次郎親分(吉田義男)とその子分達がさくらを取り囲んでテーブルに座る。さくらに無理やりダイヤの指輪を渡そうとするが、それを拒むさくら。そこへ博が現れて「おい、やめろ!」と叫ぶ。親分の命令で袋叩きにされる博。杖で叩こうとする長次郎親分の手を黒手袋の男が掴む。「て、てめえはマカオの寅!」。親分が懐からピストルを抜こうとするが、一瞬早くマカオの寅のピストルが火を噴く。入口から警察が入ってきてあっさりと捕まるお尋ね者のマカオの寅。そして警察に連れていかれるマカオの寅がさくらに向かって一言。「江戸川は、葛飾柴又の川っ淵、題経寺にあるおとっつぁんの墓だけは参ってくれよ」。マカオの寅が自分の兄だとわかったさくら。「お兄ちゃぁん!」と何度も叫びながら追いかける。その姿を見たマカオの寅はたまらず、「旦那、マカオの寅も人の子でござんす」と漏らす・・・・・
駅で昼寝をしてる寅さんが汽笛の音で目を醒ます。
「お転婆のさっちゃん」の結婚式の日に柴又に帰ってきた寅さん。(花嫁姿で登場するこの花嫁、実は源公役の佐藤蛾次郎さんの奥さんである。山田洋次監督の計らいにより、結婚直後の佐藤蛾次郎夫妻に対して奥さんを花嫁姿で映画に出演させたのである。これは「男はつらいよ」を象徴するかのような粋な演出である。)いつものように「とらや」を素通りした寅さんであるが、この日は虫の居所が悪く「とらや」の正面には戻らずにタコ社長の工場の通用口から朝日印刷に入って博にあたり散らした。「とらや」のみんなが自分の悪口を言っていると思った寅さんは、裏庭から「とらや」の茶の間に回り、窓の外でこっそりとみんなの会話を聞いた。寅さんが話を聞いているのを知ったみんなは、わざと寅さんに聞こえるように寅さんを誉める会話をした。それを聞いた寅さんはみんなの優しさに心打たれ、すっかり改心したのであった。改心した事をみんなから誉められ、所帯を持つ事を勧められる寅さん。次の日早速タコ社長が知り合いに寅さんとの縁談話を持ちかけたが、誰も相手にはしてくれなかった。おいちゃんの知り合いからも電話で根掘り葉掘り聞かれた挙句、見合いの相手は寅さんだと言ったら「馬鹿にするな!」と怒鳴られてしまった。この話が元で寅さんとみんなは大喧嘩となり、例によって寅さんは夜の柴又を後にする事となった。
秋の信濃路、寅さんは一軒の農家で昼をご馳走になった。そしてその農家の奥さん(田中絹代)から商売仲間の「伊賀の為三郎」の死を知らされた。為三郎の墓に線香をあげ、夕刻の寒空の中を農家を後にする寅さんであった。その夜、為三郎の事を考えながら宿で寝そべっていると、隣の部屋から妙な話し声が聞こえてきた。「俺の故郷はな、東京は葛飾柴又・・・」。寅さんはその聞き覚えのある声から声の主が舎弟の登だとすぐに気がついた。再会した二人はしばらくいっしょに売をしたが、ある朝登が目を醒ますと寅さんは書き置きを残して姿を消していたのであった。 9作が登が書き置きをして去るのに対し、10作は寅次郎が書き置きをして去っている。10作では久しぶりに二人の売のシーンが見られる。しかし登が寅次郎の舎弟として出演するのはこれが最後であり、次回の登場は12年先の第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」となる。12年後の登は女房と子持ちの堅気であり、それが登のシリーズ最後の出演となる。
その頃「とらや」では東大の助教授をしている御前様の甥の岡倉先生(米倉斉加年)が「とらや」の二階に居候していた。夜、「とらや」のみんなが食事をしているところへ寅さんが帰ってきた。岡倉先生に気がついた寅さんは、知らない人間が家族同様に食事をしているのが気に入らなかったらしく、嫌味ったらしい事を言った。岡倉先生が東大の助教授だと聞くと寅さんは益々気に入らなくなったようである。
それまでの経験から、岡倉先生が自分の部屋に居候している事を察知した寅さんはカバンを持って「とらや」を出ようとした。そこへ寅さんの幼なじみのお千代坊(八千草薫)が「とらや」に入ってきた。懐かしさのあまりお千代坊と話がはずむ寅さん。二人で和気あいあいとなり、さっきまでの険悪な雰囲気はどこへやら。すっかり機嫌が良くなった寅さんはしばらく「とらや」に落ち着く事となった。
女手一つのお千代坊に何かと手助けをしてやる寅さんだが、そのお千代坊に岡倉先生が惚れてしまった。初めてお千代坊を見た瞬間から岡倉先生はお千代坊にぞっこんとなり、大学に提出するレポートにも「お千代」と書いてしまう始末。その日から完全に恋の病となってしまったのである。お千代坊には別れた亭主と亭主が引き取った小学生の息子(サトシ)がいる。ある日サトシがお千代を尋ねて柴又にやってきた。江戸川の土手で二言ほど言葉を交わしたが、友達といっしょに来ていたサトシはすぐに自転車に乗って行ってしまった。涙が止まらないお千代坊・・・。 その話を聞きつけた寅さんは、その夜お千代坊をとらやに呼んで食事をして元気をつけてやろうと考えた。夕食の席、何の話をしてもどういう訳かすぐに子供の話題になってしまい、お千代坊を元気づけてやろうという計画は失敗に終わった。しかしお千代坊はみんなの心遣いに感謝し、嬉しさと寂しさで涙が溢れるのであった。
しばらくすると岡倉先生の恋の病がひどくなり、とうとう大学へも行けなくなってしまった。その姿を見るに見兼ねた寅さんは、お千代坊に岡倉先生の気持ちを伝える事にした。お千代坊を誘って何時間も連れ回し、やっと亀戸天神で岡倉先生の気持ちを伝えた。ところが寅さんの言葉が足りなかったせいで、お千代坊は寅さんの話を寅さん本人のプロポーズだと勘違いし、事もあろうにそのプロポーズを了承してしまったのである。つまりお千代坊は寅さんを好いていたという訳である。お千代坊の勘違いに気がついた寅さんはその場で腰を抜かしてしまった。結局岡倉先生の話はそれっきりとなり、何とも後味の悪い結末となってしまった。
お千代坊との関係がぎくしゃくしてしまった寅さんは、やり切れない気持ちのまま再び旅に出るのであった。
この作品の見所は大きく三つある。一つ目はお千代坊の我が子に会えない寂しさと悲しみである。
別れた亭主が引き取った息子と再会し、お千代坊が「僕、大きくなったわねぇ・・・」というセリフには思わずジーンときてしまう。「もう行くの?」、というセリフには「ずっといっしょに居たいのに」という気持ちがありありと表現されており、少ないセリフにもかかわらず痛いほど感情が伝わってくる。我が子に会えない親の気持ちがどれ程のものかはわからないが、片腕をもぎ取られる以上の痛みと悲しみである事は間違いないだろう。短時間ながらこのシーンではその心境が見て取れる気がする。
二つ目は一つ目の延長で、寅さんがお千代坊を元気づけてやろうとするシーンである。子供の話題に触れないように注意しているはずが、新聞やテレビを見ると子供の話題ばかりが登場する。第2作でも同様の喜劇は見られたが、10作の方が緊張感があるように感じる。その違いは親を思う子の気持ちと子を思う親心との差かもしれない。
三つ目はやはり終盤の寅さんとお千代坊との亀戸天神での会話である。寅さんの話を寅さんの気持ちとして聞いてしまったお千代坊の態度と顔つきが実に良く撮れている。寅さんからのプロポーズだと勘違いしたお千代坊が嬉しさと迷いで橋の欄干を指でなぞるシーンなどは女心が実にうまく表現されている。しかしお千代坊の勘違いに気がついた寅さんが腰を抜かすとすぐにお千代坊は自分の言った事を撤回する。この辺はシナリオの逆転劇の見せ所でもある。参考までにこのシーンの雰囲気は以下のような感じである。
寅さん: 「イヤかい?」
お千代: 「イヤじゃないわ・・・」(欄干を指でなぞる)
寅さん: 「じゃあいいのか?」
これまでのシリーズではことごとく寅さんのマドンナへの思いは空振りに終わっているが、この作品は結果的に寅さんがマドンナに惚れられているのである。どの作品もそれぞれ特色はあるが、寅さんがマドンナに明確に惚れられるというのは「男はつらいよ」の柱が一本増えた事に等しい。以後の作品でもマドンナが寅さんに恋愛感情を抱く作品が登場する。しかし10作ほどマドンナの恋愛表現がはっきりした作品は他にないだろう。もう一点異色だと感じるのは寅さんが恋の指南役となる点である。この点も前作までには見られないシナリオである。シリーズが終盤に近づくにつれて寅さんは恋の指南役に徹するようになる。その原型がこの作品ではないだろうか。
寅さんがマドンナに惚れられる最初の作品として記念すべき作品でもある。最後になるが、この作品の冒頭の口上は前作までの作品とは少し違う。前作までは、「わたくし、生まれも育ちも・・・」で始まり、「・・・フウテンの寅と発します」で終わる。しかしこの作品の場合はさらに続きがあり、「右に行きましても左に行きましても・・・」、と続く。このような思考錯誤の繰り返しと微細な変化が「男はつらいよ」を継続させていた理由の一つではないだろうか。
第9作 柴又慕情 1972年(昭和47年)
<冒頭の夢>
とある漁村で貧しい生活をしている夫婦
(博とさくら)のところへ借金取り達
(坂東鶴八郎一家)がやってきた。
金を返せないのならと、家の布団まで持って行こうとする。そこへ現れた車寅次郎!
「無駄な人殺しはしたくはございません。もし、
金で済む事でしたら、こんなもんで足りますでしょうか」そう言いながら札束を放り投げる。
そして夫婦にも札束を渡し、「その坊やに飴玉の一つも買ってやっておくんなさい」と言い残し、その場を去ろうとする・・・・・
「お客さん、乗りますか?」
田舎の駅でうたた寝をしてる寅さんが駅員の声で目を醒ます。
家を建てる計画をしている博とさくらに少しでも金を工面してやろうと、
おいちゃん(松村達雄・ニ代目おいちゃん)が寅さんの部屋を貸し部屋にする事にした。そして「とらや」の入口に「貸間あり」の札をぶら下げたのである。ちょうどそこへ寅さんが帰ってきた。「とらや」に入るなりその札が目に入った寅さんは、何も言わずに怒って柴又駅の方に行ってしまった。さくらが慌てて追いかけたが、寅さんは文句を言いながらどこかに行ってしまった。怒った寅さんは一人暮しをするつもりで安い部屋を探して不動産屋を回った。ある不動産で安い下宿があると言われ、車で連れてきてもらった部屋が「とらやの貸部屋」だった。「とらや」の家族に優しい言葉を掛けられた寅さんは、渋々中に入った。不動産屋のおやじが「話しがまとまったのなら手数料の6000円をよこせ」と言い出した。自分の家に帰ってきたつもりの寅さんは怒って不動産屋と喧嘩になったが、結局その金は博が払う事になった。夜、寅さんの部屋を貸す件で寅さんとおいちゃん達は言い合いになった。博とさくらが家を建てたいという話にも散々ケチをつけ、最後はさくらを泣かせてしまった。気まずくなった寅さんは、おばちゃんに「今日の6000円と後は博たちにやってくれ」とお金を渡し、柴又を後にした。
北陸を旅する寅さんは金沢に立ち寄った。
そして金沢で泊まった宿の階段で偶然舎弟の登(津坂匡章)
と再会し、どんちゃん騒ぎ!!
同じ宿には東京から観光に来た歌子(マドンナ・吉永小百合)
緑、真理の三人連れが泊まっていた。
登と再会した寅さんが酒を飲みながら「チンガラホケキョーの唄」を
歌うシーンがある。歌子達が部屋で話をしているシーンで
寅さんの歌声だけがかすかに聞こえる。
(気をつけて聞かないと聞き逃すぐらいかすかに聞こえる)
♪一、ニ~の三、浅草の~、ほらチンガラホ~ケキョーの帰り道~
でこ坊よぉ~、帰ろうよ~、男な~ら我慢しな、フウフフ~ン
もしかしたらこの歌はこの作品の為に作られたのだろうか?
いや、その前にこの歌は元々渥美清さんの持ち歌なのだろうか?
朝起きると手紙を残し登がさきに宿を出ていた。
金沢から福井県に移動した寅さんが「みそでんがく」の店で
休憩していると、そこへ金沢の宿にいた三人連れが偶然やってきた。
店の中で歌子達が寅さんにぶつかった事が切っ掛けとなり、いっしょに記念写真を撮ったりし、寅さんと歌子達はすかっり仲良くなってしまった。
しばらくして寅さんが柴又に帰ってきた。
タイミング良く、歌子の友達の緑と真理も寅さんを訪ねて柴又にやってきて偶然にも寅さんと再会する。
福井の「みそでんがく」の店で30年も帰ってないとでまかせを言ったもんだから、緑と真理が「とらや」を探し寅さんを連れていき、後に引けない寅さんは、おいちゃんとおばちゃん相手に一芝居!しまいには、おいちゃんに「バカ!いいかんげんにしろ!」と怒られろ寅さん。
緑と真理の二人は涙の再会と思いきや大笑い!
二人から話を色々と聞いている内に、寅さんは歌子の事が気にかかるようになった。と言うより福井で会った時から既に気があった様ではあるが・・・。 歌子は小説家の父親(宮口精二)と二人暮らしである。母親は歌子が小さい時に蒸発しており、歌子は不幸な家庭環境で育ったのである。今は父親の身の回りの世話は歌子の仕事となっている。その歌子が次の日一人で「とらや」にやってきた。寅さんは緊張しながらも大喜びし、家族一同で歌子を歓迎した。
歌子も一緒にお昼御飯を食べ、博の好物が「焼き茄子」で、
「鮪の刺身やビフテキより焼き茄子がいい」と博が言い、
さくらがこれに対して「貧乏暮らしの"地"が出ちゃうのね」と言う。
このセリフに対して寅さんは歌子の前で「食事の最中に"痔"の話するなよ」と真剣に怒り出す。「地」と「痔」を間違えた訳であるが、この勘違いで場の雰囲気が完全に壊れるところが面白い。
その後、寅さんの恋の話になり歌子が
「どうして寅さん結婚しないの?」・・・・
その答えに困っておどおどする寅さん!
それを見ていた「とらや」一同大爆笑(^^)
歌子には結婚を考えている男がいる。
一旦は諦めたものの、どうしても諦めきれずに父親に相談するが、
父親は反対して全く相談に乗ってくれない。
歌子は自分が結婚してしまうと父親が一人になるという不安がある為、強引に押し切る事ができないのであった。
困り果てた歌子はニ、三日家を出るつもりで再び「とらや」を訪れた。
一晩「とらや」に泊まり、翌日、博とさくらのアパートへ結婚についての相談に出掛けた。その結果歌子は結婚を決意する事にした。
何も知らない寅さんは、意気揚揚としてさくらのアパートまで歌子を迎えに行く。そして帰り道、歌子は寅さんに結婚を決意した事を話した。それを聞いた寅さんは、口では良かったと言いながら顔を下に向け、ぐっと涙を堪えるのであった。
歌子は結婚を決意するまでの気持ちの変化を寅さんに淡々と語り、最後は涙を流して結婚に対する覚悟を表現している。
第9作は終盤での寅さんの別れのシーンがない。
歌子が結婚する事を知った寅さんは落ち込んでしまい、
その後旅に出る。
旅に出る前、江戸川土手でさくらに語るシーンがある。
さくらが「寂しいの?」「どうして俺が寂しいのよ」と寅さん
「じゃどうして旅に出ていちゃうの?」そして寅さんが
「ほら見な、あんな雲になりてんだよ」
どんな雲なんだろう?と想像してしまう。風の吹くままに流される雲なのだろうと思うが見る限りでは、雲は映ってない。
人間だれしも辛い事や嫌な事があれば現実から目を離したくなる。
何もする気がなくただぶらっと旅に出たくなったりとか、そんな事も含め
何かとても深い意味のあるセリフの様な気がする・・・・・
追伸
前作までの「おいちゃん役」の森川信さんが亡くなり、
「二代目おいちゃん役」が松村達雄さんに代わり前作までの「とらや」
とはまた一味違う一家団欒が見られる。
■作品データ
公開日 1971年(昭和46年)
■キャスト
マドンナ 池内淳子(喫茶店ロークを経営する未亡人/貴子)
主な出演 ・志村喬(博の父/諏訪飃一郎)
・中沢裕喜(貴子の息子/学)
・吉田義夫(ドサ回り一座の座長/坂東鶴八郎)
・岡本茉利(座長の娘/大空小百合)
・穂積隆信(博の兄)
・梅野春靖(博の兄)
<りんどうの花>
「あれはもう10年も昔の事だがねぇ
私は信州の安曇野という所に旅をしたんだぁ・・・
バスに乗り遅れて、田舎道を一人で歩いてるうちに
日が暮れちまってね暗い夜道を心細く歩いていると、
ポツンと一軒家の農家が立ってるんだぁ
りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてねぇ
開けっぱなした縁側から明かりのついた茶の間で
家族が食事をしてるのが見える
まだ食事に来ない子供がいるんだろう
母親が大きな声でその子供の名前を呼ぶのが聞こえる
私はね、今でもその情景をありありと思い出す事が出来る
庭一面に咲いたりんどうの花
明々と明かりがついた茶の間
賑やかに食事をする家族たち
私はその時、それが・・・
それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと
ふと、そう思ったら急に涙がでてきちゃってねぇ
人間は絶対に一人じゃ生きていけない・・・さからっちゃいけない
人間は人間の運命にさからっちゃいかん
そこに早く気がつかないと不幸な一生を送ることになる
わかるね・・寅次郎君・・・わかるね・・・」
このりんどうの花の話は、博の父が寅さんに言った言葉ですが、
第8作のテーマじゃないかと思うのです。
四国のとある港町。
雨漏りのする芝居小屋、坂東鶴八郎一座。(吉田義夫)
そこにふらっと現れた寅さん。
秋の長雨で客が一人も来ない。
座長から事情を聞き、宿に帰る事にした寅さん。
雨の中、宿まで傘に入れて送ってくれた座長の娘の大空小百合
(岡本茉利)に小遣いをあげた寅さんだが、
500円札のつもりが5000円札を渡してしまった。
宿の前には「一泊500円」と書かれた看板が・・・。
これまで主題歌は多少の歌詞の変化はあるものの、前奏中の寅さんの口上に続いて歌が始まる点は基本的に第1作から変わっていない。
しかし第8作の主題歌はそれまでの作品に比べると口上が入る微妙なタイミング、演奏の丁寧さ、そして歌の滑らかさ、これらはどれをとってもそれまで以上の完成度の高さを感じる。
ある日、さくらが近所の八百屋で買い物していると、店の奥から
「勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ」と言いながら子供を躾るのを聞いた。
「とらや」でその事を話し、おいちゃん達と今度寅さんが帰ってきたら優しく迎えてやろうという話になった。
そこへちょうど寅さんが帰ってきた。タコ社長も交じり、「とらや」の面々は大げさな態度で寅さんを迎えた。
その様子を見て何かがおかしいと感じた寅さんは怒り出し朝日印刷で働く博に会いに行く。
ぶつぶつ言いながら印刷されたばかりの紙で顔を拭き、インクが顔につくこれが何度見ても笑えてしまう。
寅さんの表情の変わり加減と職工達の反応が見事に連携し、最後に寅さんが「責任者呼べ! タコ呼べタコ!」と怒鳴りながら出て行く場面は最高におかしいシーンである。
その夜、寅さんは酔っ払った昔の仲間達を「とらや」に連れてきて、さくらにビールを出せと言う。
ビールなんか出さなくていいと言うおいちゃんと寅さんがまた喧嘩になりそうなので何も言わずに寅さんの言いなりになるさくら。
調子に乗った寅さんはさくらに歌を歌わせた。しかし泣きながら唄を唄うさくらの姿を見た寅さんはさすがにいたたまれなくなり、そのまま「とらや」を出てしまった。
ある雨の午後、博の母が危篤だという電報が届いた。
博とさくらが実家のある岡山の備中高梁に掛けつけたが、すでに母は亡くなっていた。
葬式の席、突然寅さんが現れて博とさくらを驚かせた。
寅さんは「とらや」に電話をかけて話を知ったらしい。
寅さんが集合写真のシャッターを押す事になったが、シャッターを押す瞬間つい口が滑り、「はい、笑ってぇ~」と言ってしまう。
さくらに注意されてハッと気がつくが、今度は「はい、泣いてぇ~」と言ってしまう。このシーンは笑えるシーンでありながらハラハラする不思議なシーンでもある。
葬式が終わり、博を含めて4人の兄弟姉妹が集まる。
兄たちは、母は幸せだったと言うが、博は違うと言う母は子供の頃からの夢があったが父と結婚したことで夢を諦めたんだと冷淡な感情を表現するニ人の兄に対し、博は父も気がつかなかった母の本心を泣きながら訴える。
一人っきりになった博の父・諏訪飃一郎(すわひょういちろう)(志村 喬)の事が心配になった寅さんは、しばらくの間備中高梁にいる事にした。ある夜、ひょう一郎と酒を飲んでいる席でひょう一郎からりんどうの花の話を聞かされた寅さんは自分の生き方を改心し、すぐに柴又に帰る事にした。
その頃柴又では帝釈天の傍に新しい喫茶店が開業していた。店の主人は小学生の一人息子がいる未亡人・貴子(マドンナ・池内淳子)である。しばらくして寅さんが「とらや」に帰ってきた。帰ってきて早々、新しい喫茶店にコーヒーを飲みに行こうとする寅さんを止めるおいちゃん達。
喫茶店に行って貴子と顔を合わせるとまずい展開になると思ったからである。寅さんは何だかんだ言いながら、おばちゃんの入れたお茶を飲む事になった。
夜「とらや」の茶の間でみんなにりんどうの花の話をする寅さん。博の父に聞かされた話をあたかも自分が体験したかの様に話す。この辺は寅さんの得意技である。
「とらや」の茶の間のシーンにも定着を感じる。
茶の間のシーンはこれまでの作品でも必ずあったが、
この作品の中で「とらや」一家の面々が座る位置が以降の作品にも続く事になる。
「とらや」の入り口から右回りで、おばちゃん、おいちゃん、寅さん、博、さくらの順となる。
そして場合によっては博の後ろあたりにみんなに尻を向ける形でタコ社長が腰掛ける。
茶の間のシーンは見ていてほっとするシーンであり、随所に喜劇が散りばめられている点は見逃せない。
この作品の茶の間のシーンが以降の作品の原点になっているのは間違いないだろう。
次の日、寅さんが帝釈天をぶらついていると、貴子の一人息子・学(中沢裕喜)が寂しそうに一人で遊んでいた。
寅さんが学に声を掛けていると、貴子が学を連れにきた。突然現れたべっぴんに驚く寅さん。例によって貴子に一目惚れしてしまったらしい。
貴子の店に度々顔を出すようになった寅さんは、一人息子の学といっしょに遊ぶようになり、学の人見知りする性格はとたんに直った。
ある日貴子の喫茶店にいた寅さんは、貴子が借金の事で泣きながら電話で話しているところを見てしまった。
貴子が金に困っていると察した寅さんは、バイで一生懸命稼ごうとするが突然大金が稼げる筈はない。
ある夜、寅さんは貴子の家を訪ねた。貴子にりんどうの花をプレゼントし、ここでもりんどうの花の話をする寅さん。
困った事は何でも相談して欲しいという寅さんの誠意に涙を流して喜ぶ貴子。
しかし、「私も旅について行きたい」という貴子の言葉で現実に引き戻された寅さんは、貴子がお茶を入れている間に帰ってしまった。
「とらや」に戻り、旅の支度をする寅さんは、さくらの思いがけない話で思わず泣いてしまった。
茶の間にいるみんなに達者で暮らすようにと一言残し、寅さんは一人で風の中へと出て行くのであった。
第8作は寅さんとマドンナとの別れにわかりやすい決め手がない。
過去の作品は一部の例外を除き、マドンナに恋人がいる事を知った寅さんが再び旅に出るという結末がほとんどであるが、この作品の場合は少し違う。
寅さんが再び旅に出る結末は同じであるが、その決め手は寅さんの微妙な気持ちの変化である。
マドンナとの会話の中で現実を知り、自分とマドンナの住んでいる世界の違いに気がついた寅さんが自ら身を引いているのである。
これまでの寅さんとマドンナの関係はどちらかというと単純であったが、この作品で初めて寅さんの大人の心理が表現されたのではないか。
以後の作品でもこの手の心理表現がされる作品がいくつかある。第8作はあらゆる意味で「男はつらいよ」の原点が確立されつつある事と、
成熟期に向かって大きく前進した事を実感させられる作品である。
第8作の特記すべき点は、おいちゃん役の森川信さんの最後の出演作品だという事である。
おいちゃん役の森川信さんと寅さんのやりとりは第1作の時から絶妙である。
間の取り方が自然で、わざとらしいギャグでも笑えてしまうところが魅力の一つである。
シリーズが安定し、レギュラー出演者の個性も固まってきたところで大黒柱である森川信さんが最後の出演となるのは大変残念な事である。
当時は大勢の人達が森川信さんの死を悲しんだに違いない。
思えば第6作の中で、第9作以降のおいちゃん役となる松村達雄さんと森川信さんとのツーショットがある。
今考えれば、あのシーンがおいちゃん交代のシグナルだったのかもしれない。
第8作中、おばちゃんとの会話の中で、森川信さんが「決まってるじゃないか、死ぬまでよ!」と言うシーンがある。
このシーンも後で見ると何か気に掛かるところである。
見所としては博の父親役の志村喬さんのしみじみとした語りが挙げられる。
第1作の時に博の結婚式で寅さんを大泣きさせるシーンがあったが、この作品でも寅さんに感動を与える長セリフが入る。
そして以後の作品でもう一度寅さんを感動させる事になる。