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「男はつらいよ」全48作を完全制覇への道!!
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第7作 「男はつらいよ」 奮闘編 1971年(昭和46年)

07.jpg
寅さんの母・お菊さん(ミヤコ蝶々)が
京都から突然「とらや」にやってきた。
母親の登場は第2作以来である。
一年程前、寅さんから所帯を持つかもしれないと書かれたハガキをもらい、その事が気になって寅さんに会いに来たのである。

しかし寅さんは旅から帰っておらず、そこに満男を連れてさくらが
「とらや」にやってきた。さすが親子!あわて者です。
さくらを寅さんの嫁と勘違いしてしまうんですから!
また二人の挨拶がおかしい(^^)
さくら「お兄ちゃんの妹、さくらです。はじめまして」
お菊「寅の母親の菊です」
「関係ありそうで全然関係のない赤の他人」なのです。

寅さんの嫁はどこかと聞かれ、戸惑う三人!
おいちゃん、おばちゃん、さくらの三人は(1作から5作までのマドンナ)一年前と言うと
豆腐屋の節子さん(5作)じゃないか?
幼稚園の春子先生(4作)じゃないか?
散歩先生のお嬢さんの夏子さん(2作)じゃないか?
御前様のお嬢さん(1作)じゃないかと・・・
結局は今だに独身だと聞かされたお菊はがっかりしてしまう。
お菊さんは帝国ホテルに泊っているからと、寅さんが帰ってきたら伝えて欲しいと言い残してホテルに帰った。
お菊さんが帰ってからすぐに寅さんが柴又に帰ってきた。
おいちゃんからお菊さんの話を聞かされた寅さんだが、
会っても話す事はないと言いお菊さんに会いに行こうとしない。
夜、みんなが真剣にお菊さんの話をしているのに寅さんが大きな「屁」をしてしまいさくらが泣き出し、「寅さん 対 家族全員」のバトルに発展してしまった。
結局、寅さんは母親に会いに行く事になったのだが・・・
帝国ホテルの部屋でお菊さんと再会した時の寅さん。
これが又おかしい!!態度がまるで子供である。
お菊さんがさくらに昔話をしている時の寅さんはベットで遊んでみたり実におかしい。お菊さんはそんなだらしない態度に我慢できず、思わず寅さんを怒鳴ってしまった。その事でお菊さんと喧嘩になり、気を悪くした寅さんは例によって旅に出る事となった。
 
旅先の沼津で駅の近くの小汚いラーメン屋でラーメンを食べる寅さん。隣でラーメンを食べている若い女の子に駅までの道を聞かれ、親切に教える寅さん。女の子が店を出ると、店主(柳家小さん)が「あの女の子は頭が少し足りない」のだと言う。ラーメン屋を出て駅に向かう寅さんは、駅前の交番の中で泣いているさっきの女の子が目に入った。黙って放っておけない寅さんは、きつい質問をする巡査(犬塚弘)に代わり、女の子に優しく質問した。
女の子の名前は花子(マドンナ・榊原るみ)で実家は青森らしい。
紡績工場で働いていたが、何かの事情でバーの様な店で働かされ、どうやらそこから逃げ出してきたらしい。
寅さんは巡査と相談し、その夜の夜行列車で花子を青森まで帰してやる事にした。沼津駅で切符を買って花子に渡し、上野駅での乗り換えなどを教えた。そして東京で迷ったら「とらや」に行くようにとメモを渡し、花子を列車に乗せたのである。
翌日、花子は早速「とらや」にやってきた。
おいちゃん達はどういう経緯で花子がとらやに来たのか全くわからず、途方にくれてしまった。
青森出身だという事だけは花子の話でわかったので、とりあえず青森の役場に手紙を出し、役場からの返事を待つ事にした。
しばらくして寅さんが柴又に帰ってきた。
花子が「とらや」にいるかもしれないと思った寅さんは、
付け髭に色メガネをかけて「とらや」の前を行ったり来たりする。
変装したつもりらしいが、どこから見ても寅さんにしか見えない。
寅さんはすぐそばの公衆電話から「とらや」に電話を入れ、花子がいる事を知ると変装したままで「とらや」に掛け込む。
その時の慌てぶりと顔つきは二度と忘れる事ができない滑稽な光景である。 付け髭と色メガネで変装した寅さんであったが、「とらや」に来ている花子を見て涙を流して花子との再会を喜んだのであった。

花子が知恵遅れの障害者である事は既にみんな知っている。
その花子を寅さんは「とらや」に置くと言い出した。
もちろん誰も賛成はしないが、誰も寅さんを止める事はできない。
寅さんは花子に仕事をさせてやろうと思い、朝日印刷や題経寺に連れて行った。しかしタコ社長や御前様がスケベ心を出すのではないかと思い、すぐに花子を連れ戻してしまう。結局「とらや」で仕事をさせる事にしたが、店の客が花子に声を掛けた事で揉め事が起き、結果的にそれもダメになってしまった。
そんな事をしている内に寅さんは花子の面倒を一生見てやると言い出し、結婚まで決意してしまったのである。
寅さんと花子は二人で仲良くデパートに出掛けるなどしてまるで恋人同志である。
妹のさくらとしては寅さんの希望通りに結婚させてやりたいところではあるが、おいちゃんとおばちゃんは反対である。
それは当然の事で、どこから来たのかも良くわからない相手と結婚などできるはずがない。

そしてある日、青森から花子の恩師である福士先生(田中邦衛)が「とらや」を訪ねてきた。
青森の役場に送った手紙で花子の事がわかったのである。
福士先生はどうしてもその日の列車で花子を連れて帰りたいと言い、寅さんに会わずに花子は青森に帰ってしまった。
商売から帰ってきた寅さんは花子がいない事に気がつき血相を変えた。さくらの話で花子が青森に帰った事を知り、驚いた寅さんはすぐに旅に出る準備をして花子の後を追うようにして「とらや」を飛び出した。

ある雨降りの日、寅さんからハガキが届いた。
ハガキの内容から察すると、寅さんは自殺を考えている様な内容である。ハガキの中に「花子と会った」と書いてあるので、寅さんは青森にいるらしい。心配になったさくらはすぐに青森にまで行く事にした。
さくらは福士先生の学校に行き、寅さんが訪ねてきた話を福士先生から聞いた。しかし寅さんはその後どこに行ったのかさっぱりわからない。
心配しながらバスに乗っていると、どこかの停留所からおばちゃん連中といっしょに寅さんが、さくらの心配とは裏腹に何時もの調子でおばちゃんたちと冗談を言いながらバスに乗ってきた。
さくらの顔を見てびっくりする寅さん!
二人の乗ったバスは田舎道をゆっくりと走って行った。
 
第7作は重いテーマの作品のような気がする。

喜劇映画に障害者をテーマとするのはどうなのかと思うが。
なぜなら障害者を見ると可哀相な気持ちになり、その後の喜劇を腹の底から笑えなくなってしまう。
これは差別や哀れみではなく、人間として自然に感じる感情である。
しかしそれをあえてやったという事は、山田洋次監督は何かを伝えたかったのだろうか?
知恵遅れの障害を持つマドンナ・花子が最初に登場するのはラーメン屋である。店の客は花子と寅さんの二人だけ。
花子がラーメンを食べて店を出た後、ラーメン屋の店主が寅さんにこんな事を言った。

『お客さん、あの子ね、ここ(頭)が少しおかしいよ。
そりゃね、ちょっと見には可愛い女の子で通るけども、良く見てごらんよ、目なんざさ、変にこう間が抜けててさ、確かありゃあ、どっかの紡績工場から逃げ出したに違いないよ。今人手不足だからね、工場の人事課長かなんかが田舎行って、それでまぁ、ちょいと変な子だけども頭数だけ揃えておきゃあってんで引っぱってきたようなものの、人並みに働かねぇ。しょっちゅう叱られてばかりいて嫌になって逃げ出すってやつだ。その内にまぁ、悪い男かなんかに騙されて、バーだキャバレーだ、挙句の果てにゃあ、ストリップかなんかに売り飛ばされちゃうんじゃねぇかなぁ、可哀相だなぁ』
(オープニングの集団就職のシーンとここで繋がる訳である。)
このラーメン屋の店主のセリフはかなりきついセリフである。
例え他人事のセリフと言えども何故ここまできついセリフを入れたのか。
そして寅さんが花子との結婚を決意した時のおいちゃん達の話し合いの中にも障害者を差別するかの様なセリフが入っている。
しかし、終盤に花子を連れ戻しに青森からやって来た教師・福士先生のセリフで、このきつい雰囲気がひっくり返される事になる。
福士先生のセリフはこうである。

『私としては、特別扱いする事なく、人間として生きていく自信を与えてやりたいと、そう思いまして、つまり、ああいう障害児にこそ、密度の濃い教育が必要であると、そう思いまして・・・』

先のラーメン屋の店主の話は極端ではあるが考えられる発想かもしれない。
誰かが手を差し伸べなければ本当にそうなる人がいるかもしれない。
そこで福士先生のような人が必要となるのである。
これは想像に過ぎないが、ここにこの作品の言いたい事が表現されており、そして山田洋次監督はその辺のところを強く訴えたかったのではないかと感じる作品だと思う。 
 

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第6作 「男はつらいよ」 純情篇  1971年(昭和46年)
 
06.jpg
第6作は主題歌が流れる時の
オープニングのシーン!
ちょっと異質なオープニングシーンで
柴又界隈の空撮である。
なぜ空撮なのか?
本篇の冒頭で寅さんが旅先にいるからだろうか?
もしかしたら単に空撮が流行っていたからだろうか?
この作品の空撮については謎である。 
旅先の食堂でうどんをすする寅さん!
食堂のテレビで偶然目にした番組は、
柴又が登場する「ふるさとの川 ~江戸川~」であった。
帝釈天と御前様がテレビに映り、続いてだんご屋の紹介で「とらや」が映った。
だんごを作るおいちゃんも映り、最後は江戸川土手の橋に座るさくらが映った。
それを見た寅さんは思わず「とらや」に電話を入れ、自分の居場所を教えた。

寅さんは五島に行く為に長崎で船を待っているが、船は明日まで出ない。
寅さんは近くに座っている子連れの女・絹代(宮本信子)に何気なく声を掛けた。
絹代は今晩泊まるお金が足りないので貸して欲しいという。
寅さんは絹代を同じ宿に泊めてやる事にしたが、
夜、お金を借りたお礼にと絹代が突然服を脱ぎ始めた。
絹代は宿代を体で払おうとしたのである。絹代に一言「自分にも同じぐらいの年の妹がいる、妹が同じことしたら・・・」と言いながら、それを制止する寅さん。
翌朝、寅さんは絹代といっしょに五島まで行き、絹代を実家まで送った。絹代は訳ありで亭主から逃げ、実家の父親(森繁久彌)のところへ戻ってきたのである。
経緯を父親に話すが受け入れてもらえない絹代。絹代の父親の話を聞いている内に寅さんの方が家に帰りたくなり、そのまま次の船に乗る事となった。
この作品の小さなテーマとして親心が挙げられる。
絹代の父が、自分の娘に優しくしてやりたい気持ちを堪えて先々の事を考えて厳しい発言をしている。
ラストシーンの娘からの電話で堪え切れずに父親(森繁久彌)が鼻から涙を垂らしている事で娘を慕う親心がうかがえる。

「とらや」では遠縁にあたる夕子(若尾文子)がこれまた訳ありで亭主と別居して「とらや」のニ階に下宿していた。
そこへ帰ってきた寅さんが自分の部屋を貸した事に腹を立て、おいちゃんと揉めてまた旅に出ると言い出した。
しかし、ニ階から降りてきた夕子の顔を見たとたんにその気持ちはどこへやら(^^)
一転して旅に出るのはやめ、同居する事となった。寅さんはすぐに夕子といっしょに帝釈天に行くなどし、どうやら夕子に一目惚れしてしまったらしい。
夕子が風呂場に入り、ガラス越しに上着を脱ぐところが目に入った寅さんは、それから全く落ち着きをなくしてしまう。
物音がするたびに一瞬風呂場に目をやり、またすぐに視線を変えてしまう。
たまらなくなり、茶の間にいるおいちゃんに「何考えてんだ!」と食って掛かり、おいちゃんに「お前と同じ事だよ」と言われる。
実はおいちゃんは「今日も日が暮れたなぁ」と考えているだけだったのに、「お前と同じ事だよ」と言われた寅さんは思わずおいちゃんを「汚い男だねぇ」と罵る。
結局は自分のスケベ心を自分でばらしてしまった。このシーンは何度見ても最高に傑作である。

夕子が体調を崩して寝こみ、髪の毛をボサボサにしたヤブ医者の山下医師(松村達雄)が往診にやってきた。
診察の時に体のどこを見た見ないという話になり、寅さんと山下医師が少し揉めたが夕子の体調はすぐに良くなった。

以前から独立を目指していた博がそろそろ具体的に動き出した。
どこかでその噂を聞きつけてきたタコ社長が唇を目一杯とがらせておいちゃんに愚痴をこぼした。
博が独立について寅さんに相談したところ、すぐにやれと言う。
博がタコ社長への義理を気にしていると察した寅さんは、自分がタコ社長に掛け合ってやるという話になった。
寅さんがしゃしゃり出るとロクな事にならないが・・・。
すぐにタコ社長の家に話をつけに行った寅さんだが、逆にタコ社長に泣きつかれてしまい、今度は博を何とか説得してやるという話に展開した。
タコ社長が、博に辞められた場合の痛手を語る時の心境は、まさに町工場の経営者の苦悩である。
博を説得してくれと寅さんに頼む時のタコ社長の顔には絶望感さえ漂っているが、
寅さんが引き受けてくれるとなった時に、自分の子供に「蒲焼買って来い、400円のヤツだぞ。寅さんにご馳走するから」、
と言った時のタコ社長の後ろ姿には安堵感が滲み出ている。やはりこの辺はさすがに名役者!太宰久雄さんである。
しかしこの様な重要な問題解決を寅さんに託すところはやはり喜劇であり、そこが「男はつらいよ」の見所でもある。
翌日、前夜の事が気になったタコ社長は、遅寝をしている寅さんをたたき起こし、「あれから話はどうなったか」と尋ねた。
寅さんは「話はついた」と言いながらまた寝てしまった。
それを聞いて安心して帰るタコ社長。続けて博も寅次郎のところへやってきて、「あれから話はどうなりましたか」と尋ねた。
そこで寅さんは博にも「話はついた」と言ってしまった。実は何も話をつけていないにもかかわらず、ニ人共に「話はついた」と答えてしまったのである。
タコ社長にしてみれば博が会社を辞めないというこんな嬉しい話はなく、早速その夜みんなでお祝いの席を設けようと言い出した。
それを聞いた博はてっきり自分の門出を祝ってくれての事だと勘違いし、大喜びしたのである。
そして宴会の席、博とタコ社長はお互いに「ありがとう」と言い合いながら、自分がどうして「ありがとう」と言われるのかお互いに意味がわからなかった。
博が今まで世話になった礼を言ったところで話の食い違いがばれてしまい、怒りの鉾先はもちろん寅さんに向けられた。
当たり前である、お互い共都合のいい解釈をしていたのだから・・・
タコ社長と喧嘩を始めた寅さんを尻目に、頭にきた博は一人で家に帰ろうとした。
ところがさくらの話であてにしていた独立資金が父親から支援してもらえなくなったと聞き、その場であっさり独立を諦めてしまったのである。
博はタコ社長に詫びを入れ、この件は一件落着となった。

しばらくして寅さんの体の具合が悪くなった。まぎれもなく夕子への恋の病である。
ヤブ医者の山下医師が往診に来たが、病人が夕子ではなく寅さんだとわかると寅さんの顔も見ずに、「寅なら大丈夫」と言って帰ってしまった。
食欲もなく水しか飲まない寅さんであったが、夕子が「元気になったら江戸川に散歩に連れて行ってほしい」と言ったとたんに元気になり、
翌朝6時に起きて朝風呂をあびる始末。床屋に行った後で夕子と江戸川に散歩に行き寅さんが夕子に得意のアイツキ仁義の口上を披露している。
寅さんの「わたくし、生まれも育ちも・・・」を聞いた夕子が寅さんを素敵だと誉め、寅さんは調子に乗ってどんどん口上を披露する。
しかしその直後に間接的表現で寅さんの気持ちを受け入れられないと丁寧に振られてしまった。
これは寅さんを傷つけまいとする夕子の最大限の優しさであるにもかかわらず、寅さんは自分の事とは気がつかない。
振られたにもかかわらず、それが自分の事だとは気がつかない寅さんは、何を勘違いしたのか山下医師の所まで行き、「夕子さんは諦めるように」と文句を言ったのである。

そして遂に来るべき時が来た!!!
夕子の亭主(垂水悟郎)が夕子を迎えに「とらや」までやって来たのである。
亭主の迎えに何も言わずに従う夕子。夕子は所詮は人妻。
いつかはこうなる事がわっかていた寅さんではあるが、気持ちは寂しさで一杯である。
この気持ちにケリをつける為、寅さんは再び旅に出て行くのであった。

柴又駅での寅さんとさくらの別れのシーンがある。
48作中、柴又駅での別れのシーンは何度もあるが、この作品が柴又駅での別れの初めての作品である。
このシーンでは寅さんが16歳の時に家を飛び出した時のさくらとの思い出話が語られる。
この柴又駅での別れのシーンこれから何度も出てくるが、さくらだったりマドンナだったり色んな人との別れのシーンがある。
その時、その時で色んな深い意味がある見逃せないシーンだ! 
もう一つの印象的なシーンとして、寅さんに対して怒ったさくらが「とらや」から帰ってしまうシーン。
さくらを追いかけ、帝釈天の山門の前で自分の本音を語る寅さんの話に思わずさくらが吹き出してしまうシーンに兄弟愛のようなものを感じる。

もう一つ注目したい点が!
ヤブ医者役で登場している松村達雄さん。
山下医師としてニ度「とらや」に顔を出し、おいちゃん役の森川信さんとのツーショットシーンもある。
数作後からこのヤブ医者役の松村達雄さんが新しいおいちゃん役になろうとはこの時点で誰が想像できたであろうか。
後で考えればこの作品で二人が顔を合わせたのは何かの暗示だったのだろうか。

第5作「男はつらいよ」望郷篇 1970年(昭和45年)

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冒頭の夢のシーン
旅から急いで帰る寅さん。
病床で口も聞けないおいちゃんが一言だけ言い残して死んでしまった。泣きじゃくる寅さんに声を掛けて腕を掴むさくら。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん・・・お客さん、お客さん」、旅先の店で昼寝をしていた寅次郎が、女中に腕を掴まれて目を覚ます。 


夏の暑い日に寅さんが旅から帰ってきた。おいちゃんの死んだ夢が気になって帰る前に上野から「とらや」に電話を入れた寅さん。
電話に出たおばちゃんが、冗談で「おいちゃんはやっと息をしてるだけよ」と言ったのを寅さんは真に受け、慌ててタクシーで帰ってきた。
帰る道々そこら中に手を打ってきたので寅さんが帰ってきたすぐ後に、御前様や近所の人達、そして葬儀屋が続々と「とらや」にやって来た。
ほんの冗談のつもりがそこまで話が発展してしまい、
その事で夜になって大喧嘩!
怒って旅に出ようとする寅さんにさくらが平謝りし、
結局「とらや」に留まる事となった。
しばらくして堅気のセールスマンになった登が札幌の政吉親分が重病だと寅さんに言いに来た。
おいちゃん、タコ社長、御前様と誰かまわず札幌までの旅費を借りようとする寅さんをさくらが散々説教をした。
しかしそれでも最後は寅さんにお金を貸してやった。
寅さんは登を連れて札幌まで行き、
生い先短い政吉親分に再会した。
政吉親分には妾に産ませた息子がいた。
病床でその息子の顔が見たいと寅さんに哀願する。
寅さんと登は政吉親分の息子を捜しに函館まで行く事になった。
やっと捜し出した息子の澄雄(松山省二)に事情を話してみたが、
澄雄は母親と自分を不幸にした無責任な父親にはどうしても会いたくないと言う。
寅さんは仕方なく政吉親分に言い訳をする為病院に電話したところ、親分は数時間前に死んだと聞かされた。

札幌の宿で、実の親に対する登の不謹慎な気持ちに頭にきた寅さんは、登をぶん殴りすぐに田舎に帰れと登を宿から追い出した。
すっかり気持ちを入れ換えた寅さんは「とらや」に帰り、
おいちゃんとおばちゃんに今までの事を詫びた。
そしてこれからは、
「額に汗して油にまみれて働く」と誓ったのであった・・・・・

寅さんは「人間、額に汗して、油にまみれて、地道に働かにゃあいかん」が口癖となり、何度もこのセリフが出る。
このセリフの出所はさくらの説教である。
政吉親分への仁義を果たす為に金を借りにきた寅さんに対し、
さくらが説教した中にこのセリフが入っているのである。
それ以後、あたかも自分で考えたかの様にこのセリフを連発する寅さんが実におかしい。
一旦はタコ社長の印刷工場で働く決心をしたが、
結局断られてしまう。
タコ社長の印刷工場で働こうとした時の寅さんのスタイルも
オバーオール穿いて滑稽な格好である。
その後、寿司屋と天ぷら屋と風呂屋に行ったが全部断られ、頭にきた寅さんは最後に風呂屋のおやじの首を絞めてしまった。
職探しに疲れた寅さんは、
江戸川に置いてある小船の中で昼寝をした。
ところが小船のロープが外れ、眠ったままの寅さんを乗せた小船は江戸川の川下の方へ流れて行ってしまった。
しばらくして寅さんからさくらの所に腐った油揚げが送られてきた。
あれから寅さんは小船で浦安まで流され、浦安の豆腐屋に住み込みで働いていたのである。
さくらが寅さんを尋ねて浦安の豆腐屋に行くと、そこには額に汗して油にまみれて働く寅さんの姿があった。
豆腐屋のおかみさんにすっかり気に入られている寅さんだが、
実はまたしても下心があった。
豆腐屋の一人娘の節子(長山藍子)に惚れてしまっているのである。
気持ちを入れ替えた寅さんが、「♪包丁一本~♪さらしに巻いて~♪」と唄いながら油にまみれて働く姿には感動すら覚える。
これ程までに堅気の仕事を地道に働く寅さんの姿は、この作品以外で見る事はないだろう。実現はしなかったが(^^)
ある日、浦安でゲンにあう!
何でも、御前様に首にされて寅さんを探して浦安まで来たらしい。
一緒に豆腐屋に居候してしまい。
ある晩、節子が寅さんの部屋にやってきて、「できればずっとこの店に居てもらえないかしら」と突然に言った。
これをプロポーズだと思った寅さんは、しどろもどろになりながら「いいよ」と答えた。
次の日の夜、寅さんがずっと店にいてくれるお祝いで、
家族で一杯やる事になった。
乾杯の後に、豆腐をよく買いに来る若い男(井川比佐志)がスイカを土産に持って店にやってきた。
若い男は寅さんがずっと店に居てくれる事に対し、
「これからも宜しく」と言う。
何故その男に「宜しく」と言われるのか不思議に思った寅さんは、
「この男は親戚か」とおかみさんに尋ねた。
おかみさんの答えは「これから親戚になる男」だった。
その若い男は国鉄の職員で節子の恋人だったのである。
節子が結婚して家を出ると豆腐屋を継ぐ人間がいなくなるので、
その事で二人は今まで結婚できなかったのである。
そこに寅さんが現れ、しかもずっと店に居てくれるとなればこの二人はすぐにでも結婚ができる事になる。
寅さんにとっては何ともバツの悪い
最悪の失恋となってしまったのである。
翌朝早く、寅さんはゲンに替わりに働けと言って豆腐屋を出た。
そして花火大会の夜、「とらや」に電話が有り、おばちゃんが「寅ちゃん居なくなったんだって!やっぱり、振られたんだよぉ~」
「とらや」では予想してたことだったようだ(^^)
そんな時、寅さんがカバンを取り戻ってきた。
タコ社長とケンカし「とらや」を飛び出し再び旅に出る結末となった。
さくらが後を追いかけると寅さんがさくらに「地道な暮しは無理だった。今度だけは、地道に暮らせると思った。幸せに暮らせよ!」と
寂しそうに夜の柴又を後に旅に出て行った。

この作品は「死」と「地道な暮らし」がテーマになってるようで、
夢のシーンではおいちゃんが亡くなり、
寅さんが「とらや」に帰ってくるシーンではおいちゃんが口も聞けない重病であるかの様に寅さんを騙している。
どうしても葬儀を仕切りたいだけの軽い感じだが、さくらの説教と政吉親分の死により、寅さんは今までの自分の生き方を深く反省して
政吉親分の死がきっかけとなり、
寅さんが地道な暮らしを望むストーリーに変わっていく。
今のこの時代、インターネットが普及し、IT企業だとか昭和の時代には考えられない仕事がある。
さくらが寅さんに説教したセリフで考えさせられる一言が有る。

「額に汗して、油にまみれて働く人と良い恰好してブラブラしてる人と
どっちが良いの?地道に働くと言う事は尊い事なのよ。」

この「尊い」辞書で調べてみると「身分・品質などが高い」とある。
また別の辞書では「めでたい・楽しくよろこばしい。」とある。
さくらの言いたい尊いとは、
「地道に働くと言う事は、めでたくもあり、よろこばしい事だ」と言いたいのだと思う。
今の私たち日本人が忘れてることは、汗水流して家族の為、自分の為働く事ではないでしょうか?
 

第4作 「新・男はつらいよ」

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1970年(昭和45年)
04.jpg
名古屋から柴又に帰ってきた 桂梅太郎、
通称 タコ社長(太宰久雄)が名古屋の競馬場で寅さんにばったり会ったと言う。
「ワゴンタイガー」というダメ馬に掛けて
大当たりしたらしい。寅さんいわく
「ワゴンタイガーは日本語で言えば車寅次郎!
俺が頼んだらちゃんと返事をしてくれた」などど言っていたそうである。
タコ社長の予想では、寅次郎はその後のレースできっとスッテンテンになっているだろうとの事であった。
しばらくして寅さんが「とらや」へ帰ってきた。
実は競馬場でタコ社長と別れた後もツキに恵まれて大当たりし、
結局100万円稼いで名古屋から柴又まで
タクシーで帰ってきたのである。

冒頭の競馬場の回想シーン。
もしここでの回想シーンがなかったら?
たぶんなくてもとりあえずシナリオは成立するだろう。
このシーンを回想ではなく本編の流れに入れるとどうなるのか?
それでもシナリオは成立するが、それではあまりにも単調な流れに感じてしまうだろう。
競馬で100万円稼ぐにはそれなりの経緯が必要であり、
またインパクトも必要である。
そこで回想シーンで「ワゴンタイガー」なる競争馬を登場させ、
後でタコ社長がその事を「とらや」で説明する事によって
大儲けする寅さんの印象を強くする狙いがあったのではないだろうか。

タクシーから降りると「いつ来ても相変わらず小汚ねぇ店だなぁ」
などと言いながら「とらや」に入ってくる。
稼いだ金額をもったいぶってなかなか言わず、遠まわしにした挙句に
おいちゃんに100万円の入った財布を放り投げて中を見させる。
寅さんの性格が増幅されているところが面白い(-^.^-)

驚くおいちゃんとおばちゃんに
「ハワイ旅行に連れてってやる」などと息巻く寅さん。
さらに調子にのって近所の人達を集め、
無礼講などと言いながら稼いだ金で酒盛りを始めたのである。
舎弟の登が旅行代理店に勤めてることから
競馬で当てた金でおいちゃん、おばちゃんをハワイへ
連れて行く事にした寅さん。

出発当日、寅さんは胸に真っ赤な日の丸を付けた白のスーツに
身を固め、雪駄を履いていつものカバンを持っている。
おいちゃんとおばちゃんは総理夫妻の様な雰囲気で、
特におばちゃんの若づくりな服装にはびっくりしてしまう。

羽田に向かう直前、旅行代理店に勤める登が
泣きながら寅さんの所に来た。
(またまたトラブル?毎度のことながら順調にはいきません!)
登の話では、旅行代理店の社長が寅さんの金を
持ち逃げしてしまったと言うのだ。
もちろん航空会社への入金などはしていない。
しかし御前様をはじめ、大勢の人が見送りに来てくれているので、
ここはとりあえずみんなに黙って羽田に向かうしかない。
登を皆に聞こえないよな小声で怒りながら頭をぶん殴りながら寅さんはそう判断し、みんなに万歳をされながら羽田に向かった。
羽田に着いてから、おいちゃん、おばちゃん、
そして見送りにきた博に事情を説明し、
夜こっそり「とらや」に戻る事とにした。
寅さんの案で、みんなにはハワイに行った事にして何か聞かれたら
「ハワイのお水が合いませんでしたからホテルから一歩も
外には出ませんでした」と答えようという話になった。
不安がるおいちゃんを説得し、
しばらくの間は電気もつけられない生活、
夜は博がさくらに友達の所へ行くといって
「とらや」に食べ物など運んでいた。
運の悪い事にその夜、店の休みにつけ込んだ泥棒(財津一郎)が
誰も居ない筈の「とらや」に盗みに入った。
家の中にはストーブが焚かれており、誰もいない筈なのにそれに気がつかずに思わずストーブに温まる泥棒。
ストーブにあたりながらすぐにおかしいと感づいたが、次の瞬間寅さんと博に捕まえらてしまう。
泥棒を捕まえたのはいいが、110番するとハワイに行かなかった事が
みんなにばれてしまう・・・。
そこで寅さんは泥棒を逃がしてやる事にした。
しかし足元をみた泥棒は黙って出て行こうとしない。
寅さんは仕方なく泥棒に1万円をくれてやり、
出て行ってもらう事にした。
 ところがこの泥棒、ニタニタ笑いながら1万円札を持って夜中の
柴又商店街を歩いているのを警察官に怪しまれて事情を聞かれ
「お金はとらやさんで貰った」と言うが、「とらやさんは旅行で留守だ」と嘘をつくなと言わんばかりに息巻く警察官。
その騒ぎを聞き付け駆けつける近所の人達!
結局寅さん達の嘘はあっけなくばれてしまう結末となった。
寅さんはおいちゃんと大喧嘩となり、また旅に出てしまう。

一ヶ月後、寅さんが再び「とらや」に帰ってきた。
ニ階の部屋を下宿人に貸している事でおいちゃんとまた喧嘩になり、
その足でまた旅に出ようとしたところへ下宿人の春子(栗原小巻)が
帰ってきた。
春子を見た寅さんは一目で春子に惚れてしまい、
旅に出るのを中止して「とらや」に同居する事になった。
春子は帝釈天の裏にあるルンビニー幼稚園の先生である。
寅さんは春子といっしょに園児と遊ぶなどして
その日から春子にべったりである。
しばらくして春子の父が亡くなった。
落ち込んでいる春子を何とか元気づける為に奮闘努力する寅さん。

元気づける為に寅さんが春子と水元公園でボートに乗るシーンは
笑える(-^.^-)
職工達と共謀し、ボートに乗る二人の近くを職工達がギターを演奏し唄を唄いながら別のボートで通り過ぎるシーン、
ボートに乗った職工達が『♪愛、あなたとニ人~』などと合唱しながら近くを通る。元気づけたい気持ちと惚れた気持ちが混同し、
ちゃっかりこの様な唄を選んでいるところが面白い。

しかしそれもつかの間、ある日春子の恋人・隆史(横内正)が「とらや」の春子のところへ突然遊びにきた。
ちょうどそこへ春子の為に人形を買ってきた寅さんが帰ってきた。
みんなで隆史の靴を隠すなどして何とか寅さんに気づかれない様にするが、上機嫌の寅さんは人形を持ってスタスタニ階にあがってしまった。
しばらくして、「あっ・・・」という寅さんの声がニ階から聞こえ、
続けて人形が階段を転げ落ちてきた。

哀れ寅さんの恋は一巻の終わりとなり!
『♪奮闘努力のかいもなく~♪』
また失恋の旅に出る結末となってしまう。


第4作はマドンナの色が濃い作品である。
前作の第3作に引き続き、第4作も山田洋次監督の
監督作品ではなく小林俊一監督である。
山田洋次監督が監督をしなかった作品は全48作中で第3作と第4作の2作品のみである。
1作~3作もマドンナは登場するが、第4作のマドンナはそれまでの
マドンナとは役割が少し違う様に思える。
前作までは登場人物である印象を受けるのに対し、
第4作は存在感を大きく感じる。
マドンナの役割が大変重要であり、
尚且つマドンナと「とらや」を結ぶ接点も何かしら必要だと思う。
そういう意味では第4作のマドンナは「とらや」に限りなく近い存在で
あり、映画の中の中心的な役割を担っていると言える。
マドンナがとらやに下宿するシナリオは以後の作品でも度々あるが、
そういう点では以後の作品の原点の一つを
第4作が作り出したのではないだろうか。 
 
 

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第3作 「男はつらいよ」フーテンの寅 1970年(昭和45年)
 

03.jpg日本で大阪万博が開催された年の
正月公開作品。
第3作は35年も昔の映画なんですね。

オープニングのSL走る雪国の宿から風邪で寝込む寅さんと仲居役の悠木千帆(現 樹木希林)のけなげでしんみりした後、柴又の「とらや」へ帰ってきた寅さんにタコ社長が持ってきた縁談の話しが待っていた。
何だかんだ言いながらも寅さんはその話しに乗り、
すぐに見合いをする事に!
笑えるシーンは寅さんが自分の女房観を語るシーンで。
女房になってもらえるならババア以外なら誰でもいいと言いながらも、
自分の願望を熱く語り周りを呆れさせる。
そんな都合の良い女房はこの世にいる訳がないと誰もが思う。
言いたいのは一つ一つの願望ではなく、女房の亭主に対する心遣いなのである。そんな完璧な女房などどこにもいない。しかし心遣いさえ亭主に通じれば、女房の全てを受け入れられるに違いない。
このシーンで言いたいのはそういった事ではないのだろうか。
お見合い当日現れた相手は寅さんが前に仙台で知り合った
お駒(春川ますみ)だった。
しかも相手は亭主持ちでお腹の中に子供までいる。
お駒から色々と事情を聞くと、亭主に女ができて家を出てしまい、
その腹いせに誰でもいいから見合いをしようと思ったらしい。
それを聞いた寅さんはお駒を放ってはおけず、その日の内に亭主を捜し出して話をつけ、二人の縁りを戻してやったのである。
しかしそこまでは良かったのだが、その夜二人の為に「とらや」で盛大にお祝いをしてやり、
最後はハイヤーまで呼んで二人を熱海まで送ってやった。
もちろん支払いは全て「とらや」への請求である。
これにはおいちゃんとおばちゃんは大激怒。
「なぜ他人にそこまでしてやらなきゃいけないのか」と寅さんに食って掛かるものの、寅さんにその様な理屈が通じるはずがない。
一部始終を見ていた博が頭にきて我慢できなくなり、
寅さんと喧嘩になってしまう。口では威勢が良かった寅さんだが、
博にぶん殴られてあっけなく負けてしまう。
博が初めて寅さんを殴ったうえに一本背負いまでしちゃうんですね。
気まずくなった寅さんは次の日旅に出てしまった。
 
一ヶ月後、おいちゃんとおばちゃんが旅行に出かけたところ、
旅行先の湯の山温泉(ロケ地三重県四日市市)の旅館「もみじ荘」で寅さんとばったり会った。
寅さんは「もみじ荘」で番頭をやっていたのである。
文無しの時に腹を壊し便所を借りたのがきっかけで宿に泊めてもらい、
いつのまにか番頭として居ついてしまったらしい。
居つく理由は単純である!!!
寅さんは「もみじ荘」の独身の女将・お志津(新珠三千代)に
惚れているからである。
「もみじ荘」で働く女中の染奴(香山美子)には病気で働けない
父親がいる。染奴はお志津の弟の信夫と恋仲にあったが、
父親を食べさせる為には妾になるしかないと覚悟を決めていた。
寅さんが二人の仲を取り持って東京に駈け落ちさせる事になるが、
同時にこれは旅館の跡取り息子がいなくなる事を意味する。
結局この事が切っ掛けとなり、お志津は女手一つでやってきた旅館を手放す決心がつき、自らも以前から付き合いのある
大学教授・吉井氏の元へ嫁ぐ事となった。
何も知らない寅さんは風邪を引いて寝込み、
寝言で『お志津さん・・・』などと言ってしまう始末。
しかし旅館の女中がお志津の事を寅さんに話すと、
寅さんは大変なショックを受けてしまった。
そして寅さんは別れの一言を残し、「もみじ荘」を後にする結末となる。

もみじ荘へ住み着いた寅さんが客への余興で見せる
股旅芝居にしても、染奴の父親(花沢徳衛)を相手に
仁義をきるその口上の口跡の良さにしても、
渥美清という俳優の素晴らしさ、底の深さを味わえます。
結局お志津さんには想い想われる大学の先生がいて、
寅さんは身を引いて去ってゆくのですが、
そのシーンより強い泣かせどころがその後の69年大晦日から
70年元旦を迎えた時の「とらや」の茶の間で待っています。
寅さんが映るTVを食入るように見つめる「さくら」の涙。
寅さんの「渡世」のせつなさが全開です。

この作品には暴力的なシーンが二つある。
一つ目は博と寅さんの喧嘩である。
このシーンでは博が寅さんを殴った挙句に投げ飛ばし、
さらに起き上がろうする寅さんを押さえつける。
「男はつらいよ」の全作品の中でここまで人を痛めつけるシーンがある作品は私の知る限りこの作品だけの様な気がする。
もう一つはマドンナの弟・信夫と寅さんの喧嘩のシーンである。
橋の上で喧嘩を始める二人だが、寅さんが仁義をきっている最中に
信夫がいきなりナイフを取り出す。
このシーンを見ると何かルール違反をしている様な気になります。

第3作はマドンナが「とらや」に登場しない作品である。
そして最後に寅さんが旅に出るシーンも柴又からではなく
旅先からである。
そのせいか全体のストーリーが完全に連携してない様な印象を受ける
この作品は監督が山田洋次ではなく森崎東  脚本に山田洋次 、
監督が違うだけでこんなにも違うのであろうか?
少し寂しさを感じる作品である。

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